(2)阪神地区

図-4には阪神地区の12サイトの種構成をクマゼミの比率が高い順に、クマゼミがゼロのサイトはアブラゼミの比率が高い順に示した。

図-6 調査サイト別セミの種構成 (阪神地区: 2016年)

クマゼミ・アブラゼミの比率が高い順

 

表-4 処女塚古墳の2009~2014年までの調査結果

2009 2010 2011 2012 2013 2014
ニイニイゼミ 1 0 1 0 1 0
ミンミンゼミ 0 0 0 0 0 0
アブラゼミ 0 5 2 1 0 0
ツクツクボウシ 0 0 0 0 0 0
ヒグラシ 0 0 0 0 0 0
クマゼミ 204 977 714 607 862 597
総計 205 982 717 608 863 597


処女塚(おとめづか)古墳は採集された195個の抜け殻全てがクマゼミであった。

処女塚古墳の築造年代は4世紀前半と推定されていて、1922年(大正11年)3月8日に国の史跡に指定されている。

50年前には阪神地区でもクマゼミは少なく、アブラゼミが主体であったと言われていることを考えると、ここも50年前はアブラゼミなどクマゼミ以外のセミが主な構成種であったと想像される。

2009年から2013年までは、わずかではあるがアブラゼミやニイニイゼミの抜け殻が採取され、ミンミンゼミやツクツクボウシの声も確認されていた。

しかしながら、2014年には抜け殻は全てクマゼミとなり2015年は調査を中止していた。

2016年に調査範囲を縮小して、調査を再開したが、100%クマゼミであった。

クマゼミにより、他のセミがほぼ駆逐された可能性がある。

首都圏も含め、現在クマゼミと他のセミが共存している場所で、同様のことが起こり得るのか、あるとすればどのような条件が関与するのか興味深い。


<渦森台4丁目各サイトの経年変化>

図-3に渦森台4丁目の3つのサイト(渦森展望台公園、寒天橋周辺、渦森北公園)の位置関係を航空写真で示し、抜け殻数と種構成の経年変化を示した。

図-7兵庫県神戸市渦森台の航空写真(googleより)と抜け殻の推移


渦森台は1961年から1969年にかけて、旧・住吉村域内(住吉地区)にある渦ヶ森(うずがもり)と呼ばれる標高362.2mの山を神戸市が造成した住宅地で、渦森展望台公園は住宅地の最上部に作られた公園、寒天橋周辺は造成された住宅地からはずれた、元々の自然が残された川沿いの場所、渦森北公園は造成された住宅地のほぼ中央に新たに作られ、植栽も外部から持ち込まれたと考えられる。

これら3サイトの種構成の違いは、人為的な環境への介入がセミの種構成に大きく影響することを示唆していると思われる。

それぞれのサイトは250-270m程度しか距離が離れていないにも関わらず、種構成は全く異なっている。

300m程度の距離はセミでも移動可能距離と考えられるが、少なくとも調査した2016年までの6年の間に、渦森北公園から渦森展望台公園や寒天橋周辺へのクマゼミの侵出や、寒天橋周辺からの渦森北公園へのミンミンゼミ、ツクツクボウシの侵出、寒天橋周辺からのヒグラシの渦森北公園や渦森展望台公園への侵出は見受けられなかった。

しかし、2015年の調査では寒天橋周辺でクマゼミのメス1個が採取されている。

また、渦森展望台公園では調査サイトの範囲外ではあるがの2015年には入り口付近で、2016年は公園内の藤棚でクマゼミの抜け殻が確認され、成虫の死骸も確認されている。

徐々にではあるが、クマゼミが生息範囲を拡大してきている可能性があり、今後の調査結果に注目していきたい。


<学が丘公園・関西学院上ヶ原キャンパス赤塚山北公園の経年変化>

学が丘公園・関西学院上ヶ原キャンパス、赤塚山北公園の種構成の経年変化を図-5に示した。

図-8 8年間継続調査ができたサイトの経年変化(阪神地区)

 

これらのサイトでは、2011年あるいは2012年以降、クマゼミあるいはアブラゼミの数が減少している。

学が丘公園8地区では2012年に鉄柵工事が行われており、サクラやエノキの元気がないと報告されており、その影響も考えられるが、抜け殻数が減少しているサイト全てで工事が行われた訳ではないので、他にも原因があるのかもしれない。

赤塚山北公園の2013年の報告によると、7月29日に低木の剪定とそれに伴う清掃が実施され8月下旬の豪雨で抜け殻が流された可能性が考察されており、人為的環境変化や雨による抜け殻の流出が調査結果に影響した可能性がある。